『劇場版501』(ネタバレどころか、ひどく個人的な話)

渋谷ユーロスペースで『劇場版501』を観て、スクランブル交差点で出演女優の青山真希さんと別れ、帰宅して、パソコンのキーボードを叩いています。青山さんと別れた後、私は気持ちのやり場を見つけることができずにいました。もう、私の周りには誰もいないからです。

 

2015年11月14日、川崎クラブチッタ

ロフト系列による「ロフトフェス’15」に、私はAV監督のバクシーシ山下さん、それから『劇場版501』の監督であるビーバップみのるさんと出演していました。

出演時間ギリギリにふらふらと現れたみのるさんの顔は、完全に鬱状態の人のそれでした。いつも、軽快で人あたりがよく、目だけ鋭く光らせたまま飄々としている方ですが、虚ろな目の下はくぼみ、顔色も悪く、話し始めても、お得意のナンパ演説どころか、ネガティヴな言葉しか出てこない有り体だったのです。

みのる監督がこのような状態になったのは、単純に『劇場版501』の編集が、素材の多さ、関わった人たちの熱意/トラブル/関係の複雑さによって、難航していたためでしょう。さらに前日、仮編集した映像の作り直しを余儀なくされ、作品の答えを見失ってしまった経緯もあります。しかし、私は凡庸な人間なので、舞台上でゆらゆらしているみのるさんを見ながら「うわあ、業が深まっている」と思わずにはいられませんでした。

 

 

話はもっと遡ります。2014年の夏、私は鶯谷のデリヘル「人妻時代」の社長夫妻と蜜月にありました。旦那の村上さんはシャイな方で、妻である夢華さらさんはお喋りな明るい女性です。三人で一緒にいる様子を、周囲からはお姉さん夫妻の家に遊びに来た妹のようだと、よく言われました。まだふたりが結婚していることを公表する前、ふたりのアリバイ作りを兼ねて、私も一緒に旅行へ連れて行ってもらったことがあります。

私はふたりに対して完全に心を許していて、人妻時代の待機所で、電話に出る村上さんと、働きに出るお姉さん達を見ながら、何時間でもすやすやと眠りました。さらさんが働きに出ると、村上さんと何を食べるか相談して、さらさんの帰りを待ち、何度も三人で食事をしました。とてもよく食べる人たちでした。

 

旅行先は江ノ島は、夏で、海が光ってて、車の窓から流れ込む風が気持ちよくて、運転席と助手席でふたりが笑っていました。

 

ある日、私はさらさんから「ビーバップみのる監督のドキュメンタリーに出ることになったの!」と嬉しそうに報告を受けました。もともと、私はみのる監督のドキュメンタリーのファンだったので(もちろん淫語AVも好きです。というか、ドグマ自体大好きです)、もちろん引き止めました。「大変だと思うけどなあ」

しかし、さらさんは村上さんと立ち上げた人妻時代をもっと繁盛させるために、プロダクションに所属して自らAV女優として駆け出したばかりでした。お店のためになるなら、ふたりがもっと幸せに暮らせるなら、どんなチャンスでも掴みたかったと思います。そしてその年の夏は、本当に本当に大変でした。

 

 

さらさんは明るくてまっすぐで、一生懸命な人です。彼女は『劇場版501』の制作に失敗し、それでも作品を成功させようともがくみのる監督に共感し、共感を自分ひとりの中に閉じ込めたまま、撮影のためのイベントに向けて、無謀としか思えない頑張りを続けました。日々何かを頑張っていないと落ち着かない様子で、体重計の数字を追って過度なダイエットを続けるうちに、救急車で搬送されたのです。ほとんど絶食状態で、長距離のジョギングを何日か続けたためでした。目だけが爛々と異様に輝き、絶食とイベントまでのプレッシャーで混乱しているのは誰の目にも明らかでした。

彼女が救急車で搬送された時、そばには村上さんもいました。私は彼女が倒れたことを、村上さんのツイッターで知ったのです。さらさんはドキュメンタリーに出演していることに忠実で、自分を素直にさらけ出そうとする過程で、夫婦間の溝を浮き彫りにさせていました。搬送されるさらさんを、村上さんはじっと見ていました。この時すでに、みんなが満身創痍でした。

 

私は彼女の頑張りに対して、最後までなんでも協力しようと腹をくくっており、件のイベントへの出演と撮影を受けました。イベントは出演者である女優5人が対決するというものです。その中で、女優さん同士が特技を披露して競うステージがあり、私はそこへさらさんに協力する形で出演することになったのです。さらさんは特技でヲタ芸を披露しました。私のライブでヲタ芸を見て感動したという彼女が、ヲタ芸をマスターして、私の歌う前で披露したいと言ってくれたのです。審査員は数十名の汁男優。音響設備は小さなラジカセひとつでした。パンツ一丁で真剣に見つめる男優さんと、小さなラジカセ、うたう私と、渾身のヲタ芸を打つさらさん。

 

 

イベントが終わった後も、私たちが三人で旅行に行くことはありませんでした。夫婦間の溝は埋まらず、お店もなくなりました。海沿いを走った送迎車ももうありません。もちろん、あの待機所も。働いていたお姉さんたちがどこに行ったのか、私は知りません。みんなが、猛スピードで不幸になっていきました。あの日、幽霊のようなみのるさんを見て、つい「業が深まっている」と思ってしまったのはそのせいです。

 

私は鶯谷から自然と足が遠のき、村上さんとも、さらさんとも顔を合わせる機会が減りました。ふたりが離婚してしまったのもあります。それでも、私は日常を生きてきました。それ以外にどうすることもできないからです。あの夏から、もう一度、ふたりがいない夏が来て、私は書籍の出版に向けて無我夢中で編集部にこもりました。日常はそのように続いてきました。

 

 

数日前、「ロフトフェス'15」にブッキングしてくれた社員さんと長電話をしていました。「劇場版501完成して上映してますよ」と、教えてくれたのは社員さんです。そんなことも知らないくらい、私の人間関係はいつの間にか、あの夏とは変わっていました。

社員さんが盛況で立ち見だったというので、上映5日目にユーロスペースに行ったところ、30分前に受付ですでに立ち見のみ。私がチケットを買ったすぐ後には札止めになっていました。大勢の人が見守る中、スクリーンに映像が流れます。あの頃のさらさんと村上さん。はしゃいで、兄弟のように遊んだあの頃のふたり。

一緒にラジオをやっていたゴールドマン監督、いつも会うと気にかけてくれるAV男優の辻丸さん、「AVに出てえらいね」と労ってくれた青山真希さん、若林美保さん。いまはもうない待機所、送迎車。ほかにも映っていないけれど、あの夏を過ごした人達がその場にいたことを、私は思い出していました。いつの間にか、いろんなことが変わっていたようです。

 

ななめ後ろの席に座っている女の子達が笑っていて、さらにその横に振り向いたら青山真希さんがいました。真希姉だけが、私と同じ表情をしていました。祖父が亡くなってすぐ、祖母と顔を合わせた時のことを思い出しました。私と同じ表情。私達にしかわからない、寂しさ。あの夏の、高揚感が非情だったこと。

 

エンドロールには、丁寧に私の名前がクレジットされていました。私はあの夏とともに閉じ込められています。『劇場版501』には、私に限らず、さらさんに限らず、関わった、関わってしまった、関わらないと決めた人達のこうした私情が強烈に絡み合っています。ドキュメンタリーだからです。劇場を出て、目だけ鋭く光らせた軽快なみのるさんに会ったら、この映像が完成してよかったと心から思いました。

 

そして私の周りには、誰もいません。映画はとても面白かったです。念のため。